近藤 剛(KONDO Tsuyoshi)
■学歴 | |
2003年 | 中央大学文学部史学科日本史学専攻卒業 |
2005年 | 中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士前期課程修了 |
2012年 | 中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士後期課程修了。博士(史学) |
留学 | 韓国 |
■職歴 | |
2007年〜2012年 | 中央大学人文科学研究所準研究員 |
2008年〜2013年 | 中央大学附属中学校・高等学校非常勤講師 |
2012年〜 | 中央大学人文科学研究所客員研究員 |
2012年〜2013年 | 中央大学文学部兼任講師 |
2013年〜 | 学校法人開成学園社会科(日本史)教諭 |
日本高麗関係史
History of Japan-Goryeo Relations.
(1) 学術雑誌等(紀要・論文集等も含む)に発表した論文、著書
・近藤剛、「嘉禄・安貞期(高麗高宗代)の日本・高麗交渉について」、『朝鮮学報』、朝鮮学会、第207 輯、pp49〜86、2008(査読有り)
・近藤剛、「泰和六年(元久三・一二〇六)対馬島宛高麗牒状にみえる「廉察使」について」、『中央史学』、中央史学会、第32号、pp57〜70、2009(査読有り)
・近藤剛、(和文タイトル:高麗前期の官僚李文鐸の墓誌を通じてみた高麗・金関係について)、高麗大学校日本史研究会編『東アジアのなかの韓日関係史 下』J&C出版社、ソウル、pp31〜63、2010(査読無し)
・近藤剛、「『平戸記』所載「泰和六年二月付高麗国金州防禦使牒状について」、『古文書研究』、日本古文書学会、第70号、pp18〜36、2010(査読有り)
・近藤剛、「古代の対外関係と文書」、荒野泰典・石井正敏・村井章介編『日本の対外関係 3 通交・通商圏の拡大』、吉川弘文館、pp231〜244、2010(査読無し)
・近藤剛、「高麗前期の官僚李文鐸の墓誌を通じてみた高麗・金関係について」、『教育・研究』、中央大学附属中学校・高等学校、第24号、pp53〜81、2011(査読無し)
・近藤剛、「高麗における対日本外交案件の処理過程について」、中央大学人文科学研究所編、『中央大学人文科学研究所研究叢書52 情報の歴史学』、中央大学出版部、pp157〜194、2011(査読無し)
・近藤剛、「『朝野群載』所載高麗国礼賓省牒状について―その署名を中心に―」、『中央史学』、中央史学会、第34号、pp81〜101、2011(査読有り)
(2) 学術雑誌等又は商業誌における解説、総説
・近藤剛、「日本・高麗関係についての一考察−「進奉」の解釈をめぐって−」、『中央史学』、中央史学会、第28号、pp301、2005
・近藤剛、「高麗の国際認識における対日本観−「進奉」の語義をめぐって−」、『朝鮮学報』、朝鮮学会、第198輯、pp136〜137、2006
・近藤剛、「嘉禄・安貞期(高麗高宗代)の日麗交渉について」、『中央大学人文科学研究所年報』、中央大学人文科学研究所、第28号、pp53〜54、2007
・近藤剛、「日本・高麗間の「進奉之礼」について」、『中央大学人文科学研究所年報』、中央大学人文科学研究所、第29号、pp40、2008
・近藤剛、「『平戸記』所載「高麗国金州防禦使牒」について」、『古文書研究』、日本古文書学会、第66号、pp135、2008
・近藤剛、「泰和六年高麗国金州防禦使牒状にみえる「廉察使」について」、『中央大学人文科学研究所年報』、中央大学人文科学研究所、第29号、pp41〜42、2008
・近藤剛、「平治・永暦年間の日本・高麗関係に関する一考察」、『史学雑誌』、史学会、第118編 第1号、pp117、2009
・近藤剛、「回答使」「回礼使」「郭再祐」「嘉靖海寇」「国書」「後百済」「藤原親光」「北虜南倭」「礼曹」「倭城」、田中健夫・石井正敏編『対外関係史辞典』、吉川弘文館、pp131・136・137〜138・140・280・281〜282・680・715・815・834、2009
・近藤剛、「高麗における日本牒状の審議過程について」、『中央史学』、中央史学会、第32号、pp137、2009
・近藤剛、「鄭淳一氏報告に対するコメント」、『(平成二十一年度)組織的な大学院教育改革推進プログラム「アジア研究と地域文化学」院生成果報告集』、早稲田大学文学研究科アジア地域文化学コース、pp87〜90、2010
・近藤剛、「高麗時代前期の官僚李文鐸の墓誌銘について―書誌学的考察と対日関係記事における李文鐸の立場について―」『中央大学人文科学研究所年報』第31号、中央大学人文科学研究所、pp41、2010年
(3) 国際会議における発表
・近藤剛、(和文タイトル:高宗14年前後〈日本嘉禄・安貞期〉の高麗・日本関係について―倭寇をめぐる
高麗・日本の外交的対処とその意義―)、『韓日関係史学会』、第101回、大韓民国ソウル、2006年12月(口頭発表 査読有り)
・近藤剛、「日本・高麗間の「進奉之礼」について」、国際ワークショップ「10〜14世紀の東アジア国際交流」、『中央大学人文科学研究所・高麗大学校BK21韓国史学研究団』、東京、2007年7月(口頭発表 査読無し)
・近藤剛、「12世紀における日宋貿易の転換と日本・高麗関係の変化について」、『第2回日韓若手歴史研究者交流会議』、大韓民国ソウル、2012年9月
(4) 国内学会・シンポジウム等における発表
・近藤剛、「日本・高麗関係についての一考察−「進奉」の解釈をめぐって−」、『中央史学会』、第29回、東京、2004年6月(口頭発表 査読有り)
・近藤剛、「高麗の国際認識における対日本観−「進奉」の語義をめぐって−」、『朝鮮学会』、第56回、奈良、2005年10月(口頭発表 査読有り)
・近藤剛、「嘉禄・安貞期(高麗高宗14年)の日麗交渉について」、『中央大学人文科学研究所公開研究会』、東京、2007年3月(口頭発表 査読無し)
・近藤剛、「『平戸記』所載「高麗国金州防禦使牒」について」、『日本古文書学会』、第40回、東京、2007年10月(口頭発表 査読有り)
・近藤剛、「泰和六年高麗国金州防禦使牒状にみえる「廉察使」について」、『中央大学人文科学研究所公開研究会』、東京、2008年3月(口頭発表 査読無し)
・近藤剛、「高麗における日本牒状の審議過程について」、『中央史学会』、第33回、東京、2008年6月(口頭発表 査読有り)
・近藤剛、「平治・永暦年間の日本・高麗関係に関する一考察」、『史学会』、第106回、東京、2008年11月(口頭発表 査読有り)
・近藤剛、「高麗前期の官僚李文鐸の墓誌銘について」、『中央大学人文科学研究所公開研究会』、 東京、2009年5月(口頭発表 査読無し)
・近藤剛、「鄭淳一氏報告に対するコメント」、『早稲田大学 アジア研究と地域文化学 大学院GP院生成果報告会』、東京、2009年10月(口頭発表、査読無し)
・近藤剛、「高麗における対日本外交管理体制について―11〜13世紀を中心に―」、『中央大学人文科学研究所公開研究会』、東京、2010年8月(口頭発表、査読無し)
・近藤剛、「11世紀末〜12世紀における日本・高麗関係について」、『中央史学会』、第37回、東京、2012年7月
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